人が演奏中あがっているかどうか、他者が判断するのは難しいです。
手が震えたり止まってオタオタする等余程のことがない限り、はたから見ているだけでは、その人があがっているかどうかなんて分からないんじゃないかと思います。
実は私も演奏に際して緊張しないという事はありません。
度を越すと脳が勝手に誤作動を起こし始め、やったことのない失敗を繰り返すこともありました。
一番苦痛なのは、集中できないことです。
そんな事終わってから考えても良いんじゃない?というような、演奏とはまるで関係のない言葉が、演奏中次から次へと頭の中を巡る事で、集中が阻害されるのです。
つまり、曲と一体化して演奏できていないという事です。
そしていつかその状態を何とかしたい、家で一人で弾いているときのような、曲と一体化した感覚で演奏したい!と思い続けていました。(ほぼ切望に近い感じです)
そんな中で出会った本がありました。
「あがり症は治さなくていい」というタイトル通り、この本は、あがる事について書いてあります。
ただ本を読んで初めて知ったのですが、「あがり」と「あがり症」は、まるで違うものでした。
「あがり症」は、ピアノの発表会で緊張する程度のものとは違って、対人恐怖から仕事や日常生活にも支障をきたすレヴェルのものを指すのだそうです。
これは、私の求めていた答えを頂ける内容ではないのかもと躊躇しましたが、読み進めると案外参考になる部分もありましたので、心に残った所を書き記しておこうと思います。
まず読み始めてすぐに、クスリと笑えるフレーズが出てきました。
それは、著者からの「今、あがってもらえませんか?」という投げかけでした。
え?
自分の意思であがる?
・・・う〜ん、できないです。
あがるような状況にいないのにあがるなんて出来ません。
でも、いつもどうしたら落ち着けるかばかり考えもがいてきたので、この発想は新鮮でした。
逆転の発想です。
そう言えば、本の中の対処法の一つに、「とことんまであがる」というのもありました。
抑えるのではなく、逆にもっともっとあがるように自分を煽るのです。
特にドキドキしてきたら、とことんまでドキドキさせようと働きかける、という対処法が新鮮に思えました。
それで、やってみました。
モンクール(大人の発表会)で試してみたのです。
出番を待つ間、ドキドキしてきたら、もっとドキドキするよう心臓に集中してみました。
するとあら不思議、ドキドキが収まるのです。
何度やってもそうでした。
これ私だけかしら?
どなたかそんな場面にある時、是非試してみて下さい。(心臓の弱い方はやめて下さいね)
又別の対処法では、あがり症をカミングアウトする、というものもありました。
つまり、あがっていることを隠さないという事です。
あがり症の方は、あがっている自分を受け入れられないため、いかにそれを隠すかに全勢力を注ぎます。
その為、スピーチなどの時、話す内容ではなく、あがっている現象の方にフォーカスしがちなのだそうです。
なので敢えてあがっている事をカミングアウトする事により、人からどう見られるのか気にするのではなく、自分が何を表現したいかにフォーカスして話せるようになるというものでした。
私自身は緊張していることを隠そうとは思っていないので、カミングアウトも何もないのですが、人からどう思われるかを気にしない、というところは心に響きました。
それで、やってみました。
又もやモンクールでです。
何をと言うと、女グールドになったのです。
グレン・グールド、ご存知ですか?
演奏中歌ってしまうので有名なピアニストです。
その様子は録音にも残っていますので、ご興味のある方は聞いてみて下さいね。
で、話を戻すと、つまり本番中歌って弾いたわけです。
小声のつもりでしたが、後から指摘されましたので、バッチリ聴こえていたようです。
でも、効果はありましたよ。
演奏中の脳内の雑音を追い出すことに成功しました。
とにかく、あがりの一番の対処法は、それについてどうこうしようともがかないことのようです。
受け入れて、その上で自分が今発信するべき本質に集中することなのだと思います。
他には「うまく話してはいけない」というのもありました。
「うまく話そうとしてはいけない」のではなく「話してはいけない」です。
確かに効果が望めそうな発想ですけど、ピアノには当てはめられないかもしれませんね。
わざわざしどろもどろに弾くって・・・(笑)
せいぜい「うまく弾こうとしてはいけない」くらいでしょうか。
でも、気が楽になる一言です。
とはいえ、単なる緊張なら、特効薬はやはり練習量なのかもしれません。(あらら)