今回は、モンクールのプログラムの中から1曲ご紹介します。
メンデルスゾーン作曲 「二重唱」です。
まずは、作曲家から・・・
フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ 。
ロマン派の作曲家です。
最も有名な作品に「結婚行進曲」があります。
他には「ヴァイオリンコンチェルト ホ短調」も、聴けば「あ〜知っている」となる曲なのではないかと思います。
作曲家随一裕福な家庭に育ったメンデルスゾーン。
一体どのくらい裕福だったかと言うと、“ 少年時代に過ごした家は、約4万平方メートルの敷地で、何百人も収容できる劇場や音楽会を行う大広間があり、頻繁に演劇や演奏が行われていた。”というくらい。
メンデルスゾーン自身も、両親が雇ったオーケストラで自作の試演をしていたといいますから、桁違いのお金持ちだったということが判ります。
当のご本人はというと、“ハンサムで明朗活発 細っそりした体格と貴族的な物腰で、若い女性は皆彼の賛美者となった”と言います。
ただ身長は167センチと意外と小柄だったようですが・・・
上の写真を見て、「え〜〜っホント⁈」となった方のために、一応メンデルスゾーン12歳の肖像画も載せておきます。
確かになかなかの美少年ですね。
メンデルスゾーンは、音楽以外にも様々な才能や特技の持ち主だったようです。( お金にものを言わせた教育のおかげも多分にあると思われますが)
まず、何と言っても記憶力が抜群でした。
どのくらい凄かったのかと言うと、“ 子供の頃にはベートーヴェンの9曲の交響曲をすべて暗譜してピアノで弾けたり、長じてからはバッハの全作品も暗譜した”というくらい。
メンデルスゾーン自身も、「一度弾いた曲は絶対に忘れない」と豪語していました。
羨ましい話しですね。
他に、音楽と同じくらい絵画にも抜きん出た才能があったり、登山好きだったり、横になったらどこでも熟睡できてしまったり・・・(親近感が湧いてきました)
ピアノ以外にもヴァイオリンやヴィオラを弾くこともできましたし、他にも、ドイツ語 ラテン語 ギリシャ語 フランス語 英語 舞踏 乗馬などを学んでいたと言います。
という様に、これ以上ないくらい全てにおいて恵まれた人物に思えるメンデルスゾーンですが、一方でユダヤ人という出自が生涯を通して彼の人生に暗い影を落としていたようです。
当時ドイツにおけるユダヤ人への少なからぬ偏見は、ささいな出来事で社会から弾き出されるのではないかという恐怖心をメンデルスゾーンに植えつけたと思われます。
実際メンデルスゾーンは幼い頃、道を歩いていて石を投げつけられたりツバを吐きかけられたこともあったのだそうです。
ロマン派の音楽とは、作曲家自身の感情を作品に投影し、形式に囚われず書かれたもの。
そこが、それ以前の形式や調和といったものを重んじた古典派の音楽と一線を画していたところです。
そんなロマン派の時代にあって、メンデルスゾーンは素直に自分の感情を露出することを拒み、時代に背を向けたかのような、かげりのない、軽快で上品な作品を書きました。
それは、彼が裕福なユダヤ人であったため守るべきものが大きかった、ゆえに新規のものに足を踏み出すことへの恐れがあった、ということに要因があったのではないか、と作曲家三枝成彰氏は著書「大作曲家たちの履歴書」の中で言っています。( 全般を通して参照させて頂きました)
さて、次は「二重唱」についてです。
この曲は、無言歌集の中の1曲です。
無言歌とは「言葉のない歌曲」という意味で、メンデルスゾーンが創始したスタイルです。
全48曲からなる性格的小品には、全て表題がつけられています。
その中で、実際メンデルスゾーン自身が題名をつけたものは5曲のみ。
そしてこの二重唱は、その5曲の中の1曲です。
男性と思われる低音のメロディーと、女性と思われる高音のメロディーが掛け合って歌ったり、クライマックスではユニゾンで歌ったりと、とてもロマンティックな曲となっています。
一聴すると、メロディーの分かりやすさから御しやすい印象を持たれる曲です。
が、実際はメロディーラインと、伴奏に当たる分散和音を右手だけで弾かなければならず、そのためメロディーラインを浮き立たせつつフレーズをまとめ、さらに自然な抑揚をつけて弾くという事に、案外苦心する曲なのです。
うっかり選ぶと痛い目にあう(かもしれない)二重唱・・・
Kさ〜ん、頑張って下さいね〜。